匂いと記憶

小さい頃ガソリンの匂いが嫌いだった。


最初に沖縄に住んでいた、まだ小学生になる前だったろうか、ガソリンに匂いに嫌悪と恐怖を感じ、家の車がガソリンスタンドで給油する時には必ず少し手前で降ろしてもらったりしてた。


香港島九龍半島を結ぶスターフェリーの港の海は澱んでいて、色んなものが入り混じった独特の潮風の匂いがした。


街を歩けば乾物屋の乾物の匂い、八角の匂い、お粥の匂い、干し海老の匂い、お香の匂い、果物屋のドリアンやライチの匂い、中華系の百貨店のフロアの匂い、そして湿気を含んだ空気の匂いがした。


香港にいたのは、小学生の頃のことだ。今思えば結構自由に一人で街を探検に出かけていた。小さな雑貨商店を見つけては駄菓子やら世界の使用済み切手やらを買ったりしていた。

どのお店も必ず乾物っぽい匂いの混じったなんとも言えない安心するような匂いがした。


幼少期に住んだ、沖縄と香港はとにかく「匂い」のする街であった。


雨の匂い、風の匂いもよく覚えている。

それは懐かしいような、郷愁を覚えるような、今でも瞬時に思い出せる「あの匂い」だ。


最近ではライブで行ったバンコクも、懐かしい匂いがした。


シンガポールのホーカース(屋台街)も。


タイのホアヒンの鄙びた海の匂い。


パリのアフリカ人やアラブ人が多く住む街のの匂い。二週間泊まったアパルトマンの街の朝の焼き立てのバケットの匂い。


マレーシアのコタバルの大きな屋台街の匂い。


ジョホールバル排気ガスの匂い。


サンパウロの楽器屋さんの匂い。


クリチバからフォスドイグアスーに向かうバスの匂い。


台湾の臭豆腐や日本とは違う醤油の匂い。これは香港でもよく香った。


リオデジャネイロのレコーディングスタジオの匂い


韓国の公州の街の匂い…

 


思うに「匂い」と「記憶」は密接に結びついていると思う。


記憶にまつわる匂いを嗅ぐと瞬時にその風景を思い出せるのは不思議だ。


街は時と共に変わってゆけど、多分それぞれ街の基本の匂いはそんなに変わらないのではないだろうか。


そしてその匂いを沢山思い出せることは、幸せなのではないか。


もっと旅をせねばなるまい…


幼少期ガソリンの匂いが嫌いだったのは、なぜだったのだろう、とふと思った。

 

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p.s.写真はバンコクの外れです。電車から撮った。